2018年12月24日月曜日

豚血下地のおはなし ④

前回までの作業で豚血下地調合工程は、煮桐油を作るところまで進みました。

1. 煮桐油を作る ←済
2. クチャに布でろ過した豚血を加えて、練り棒やヘラで混錬する
3. そこに煮桐油を加えて、さらに混錬する

次はいよいよ、豚血(猪血)とクチャ(下地粉)をあわせていきます。


下地調合の実験は、猪から採取して2日目。
調達した猪の血液は、プリン状にゲル化していました。
ガラス瓶に窒素封入して低温保管されていました。

液状を想像していたので準備しておりませんでしたが、
「ゲル化している時は藁でもんでほぐす」という■文献③(伊禮 綾乃「沖縄の豚血下地について」)
の情報から、急遽へらで細かくつぶしてガーゼで濾過して使用しました。
機会があれば、藁を用意して再チャレンジしたいところです。

豚血下地で下地粉に使うクチャは、縄本島中南部の一部に分布し、古代に大陸から堆積した泥灰からできた粘土です。灰色〜青灰色をしており、非常に細かい粒子で出来ています。


きめの細かい泥なので、現在では美容用の顔パックなどに使われています。
今回のクチャは、パック材料として売られたいたものを購入し、そのままふるい分け等の作業をしないまま使用しましたが、次回はふるい分けをやってみてもいいかもしれません。


ガラス板の上で猪血とクチャを混ぜていきます。


血の方は、特段気になるようなにおいはありません。


練っているうちに、京都式の地錆漆のような質感になってきました。
クチャをふるい分けすれば、錆漆や地錆漆といったような、下地材料の粒子の違いを使い分けられるのかもしれません。
また、今回は使用しませんでしたが、さらに粒子の大きいニービという沖縄本島中南部に見られる第三期砂岩を金槌で粉砕し、ふるいにかけた下地材料を沖縄の漆作家さんから分けていただきました。
こちらを使用すれば、下地の厚みのバリエーションを増やせると思います。


配合量は、最初は■文献①(三山 喜三郎 「琉球漆器調査報告書」)に記載の配合、クチャ:猪血=300:360をベースに練りながら、漆の地錆漆を練るときの感覚を頼りに、目分量でクチャを足して調整していきました。
その結果、クチャと猪血は概ね同量になり、■文献②(澤口 悟一 『日本漆工の研究』)に記載の、クチャ:猪血=375:360に近い配合量になりました。

ここに、(クチャ+猪血):煮桐油=6:1くらいの分量を、やはり目測で混ぜていきました。
なので、結果的に配合はクチャ:豚血:煮桐油=3:3:1という感じになりました。


煮桐油が入ったことで、下地材料の練っている時の質感が大きく変わり、麦漆や惣身漆のような質感と粘性になりました。
色調は漆下地とそう変わりのない茶灰色で、血や光明丹の特徴的な色は目立ちません。

臭気は煮桐油の強い油臭で、血の匂いは特に感じませんでした。


それでは、豚血(猪血)下地を実際に施工していきます。

豚血(猪血)下地をヘラ付けする山内代表

この塗装感というか作業性というか「つけていく感じ」は、京都式の錆漆や地錆漆というよりも、やはり輪島塗の惣身漆のような感じでした。


ベニア板、桐材、竹籠に、それぞれプラべらや桧ヘラで付けていきましたが、やはり沖縄のデイゴ材のような荒い基材の方が食いつきが良さそうです。
ヘラ引きはやや重い感じです。
しかし、のびもあって、下地材料としての違和感は感じませんでした。
綺麗な施工面よりも、高い隠ぺい性をもった肉持ち感重視の下地材といった印象でした。

こねこねと、ヘラ付け作業を体験していくうちに硬化が進んできたのか、粘性が上がって作業性がちょっと悪くなっていきました。
このあたりは漆下地でも同様ですが‥。
豚血(猪血)下地の場合は、桐油の加熱時間等で調整できるのだろうと思います。


ゲル化した血液をガーゼで濾した時に目を通り抜けた血の塊がゴミとなってヘラすじがついたり、下地が起きたりしました。
この点は、「藁でももむ」作業と同じように、錆濾し用の麻布などを使って改善したいところです。

ヘラ付け後、1hr弱で水乾き(というか血乾きでしょうか?)して表面が軽く触れるようになりました。(気温5~8℃くらい)

また、厚塗りしたものは少々クラックが入っている物もありました。
これは厚みの他に、材の吸水・吸油性や、血液成分のもみほぐしが足りないせいかもしれません。

暖かい場所で一晩もあれば、研げるくらいまでは硬化していそうな感じでしたが、どうにも油臭いにおいが広がります。
そのままの養生状態で、油臭さが取れるまでには2~3ヶ月を要しました。

豚血下地においてバインダーとなる成分が、「豚血(猪血)」と「煮桐油(鰻水)」の2成分配合されている理由は、「豚血」が指触乾燥までの早い塗膜の立ち上がり(作業性をよくする)を支えていて、「煮桐油」が実際の塗膜強度を支えている・・といった構図なんだろうなと感じました。

豚血下地は、実際には煮桐油を中心とした「油性下地」という言い方ができるかもしれません。

今後、作成したテストピースで漆膜との付着性等を見ていきたいところです。

以上、簡単ですが、豚血(猪血)下地をやってみよう!という予備実験でした。


引用した文献
■文献① 三山 喜三郎 「琉球漆器調査報告書」 『工業試験所報告 第四回』 (東京)工業試験所 明治41年
■文献② 澤口 悟一 『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年
■文献③ 伊禮 綾乃 「沖縄の豚血下地について」 『よのつぢ 浦添市文化部紀要 第3号』 浦添市教育委員会文化部文化課 平成19年
■文献④ 黄 成 『髤飾録』 天啓5年 (東京美術学校 教材版) 東京美術学校校友会 昭和3年
《出典①》「ブタとイノシシの遺伝子の違いは?」Web医事新報 日本医事新報社
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3994
No.4806 (2016年06月04日発行) P.69
野口英樹 (情報・システム研究機構国立遺伝学研究所先端ゲノミクス推進センター)
藤山秋佐夫 (情報・システム研究機構国立遺伝学研究所 先端ゲノミクス推進センター 比較ゲノム解析研究室教授)
《出典②》『近代建築に使用されている油性塗料』大澤 茂樹 2013.3 未来につなぐ人類の技 国立文化財機構東京文化財研究所

豚血下地のおはなし ③

メインの材料である豚血(猪血)を入手することができたので、今回行う実験の工程とその他の材料についてもご紹介していきたいと思います。

今回は、

■文献① 三山 喜三郎 「琉球漆器調査報告書」 『工業試験所報告 第四回』 (東京)工業試験所 明治41年
■文献② 澤口 悟一 『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年
■文献③ 伊禮 綾乃 「沖縄の豚血下地について」 『よのつぢ 浦添市文化部紀要 第3号』 浦添市教育委員会文化部文化課 平成19年

の3文献をもとに、

1. 煮桐油を作る
2. クチャに布でろ過した豚血を加えて、練り棒やヘラで混錬する
3. そこに煮桐油を加えて、さらに混錬する

という工程で豚血下地を調合していきたいと思います。

そこで、次は豚血下地の配合の中で「豚血」と同じようにバインダーの役割をする「煮桐油」についてふれていきます。


中国の漆工芸の技報専門書に『髤飾録』(きゅうしょくろく)というものがあります。
これは明の時代の人、黄 成さんが天啓5 (1625)年に著したもので、日本にも伝わっています。東京美術学校でも『髤飾録』を読み解いて研究する授業が行われるなど、日本の近代の漆工芸にも大きな影響を与えています。

その『髤飾録』の下地の技報の項で、下地材料の中にバインダーとして「猪血」と「鰻水」が登場します。


「垸漆」
(垸漆は丸漆、灰漆とも称し、下地のことである)

下地粉の種類は角灰、磁灰を上とし、骨灰、蛤灰を次(中)とし、甎灰(甎:レキ=れんが)、坯屑(坯:ヒ=れんがや陶器の火入れ前の白地)、砥灰を下となし、皆篩い別け、粗・中・細として使用する。また枯炭粉を使用することもある。
そしてこれ等の下地粉には厚糊、猪血、藕泥(レンコンの澱粉)、膠汁等を加える。
また煮油を加える鰻水即ち灰膏子もある。

訳・解説:澤口 悟一
『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年

(なお、筆者(澤口)の実験によれば、角、骨、蛤の灰類は漆以外の物には適するが、漆下地には不適当である。)


中国語ではイノシシが「野猪」、ブタが「猪」もしくは「猪只」なので、「猪血」がどちらを指すのか…。おそらく「猪血」=「豚の血」だろうと考えられていますが、厳密にはわかりません。
まぁ今回は、それは「どちらでも一緒」ということにしたので、「煮油を加える鰻水」の方に注目していきたいと思います。


中国、元~明の時代の人、陶 宗儀さんの随筆集『輟耕録』(1366年)には、
「桐油に水を入れ煮詰め、鉛丹(四酸化三鉛)・鉛白(塩基性炭酸鉛)・無名異(弁柄)を加えて蜜のようになったら加熱をやめて放熱する。」《出典②》
というように、「鰻水」の作り方が記載してあるそうです。

《出典②》
『近代建築に使用されている油性塗料』大澤 茂樹 2013.3 未来につなぐ人類の技 国立文化財機構東京文化財研究所

というわけで、どうやら鰻水=煮桐油と考えてよさそうです。


ちなみに鉛丹とは、「光明丹」ともいう鉛の酸化物です。
組成は Pb3O4 の明るい赤色(オレンジ色)の比重の重い粉末。
有毒で、体内に取り込むと発がん性、生殖毒性、胎児への悪影響の恐れ、腎臓、神経系、血液系への障害を引き起こすおそれがあります。



※ 今回はあくまで豚血下地の再現実験のために使用しているだけですので、この材料で食器などの家庭用品を作ることはありません。


それでは、実際に煮桐油(鰻水)を製作していきます。

「桐油を3~4hrほど中火で加熱し、火を止めて5~6%の光明丹を混合し、撹拌しながら放熱する(約5hr~)」
‥という■文献③の情報をもとに、屋外にて土鍋に250ccの桐油を入れて、ガスコンロで弱火で加熱していきました。


桐油はトウダイグサ科の落葉高木アブラギリの種子から採った乾性油。
塗料用途に使う乾性油の中では、塗膜の硬さや耐薬品性が高いのが特徴です。



火にかけると、とんかつ屋さんの厨房のにおいがしてきます。

放射温度計で油温が200℃を超えないように火力を調整すること2hr15minくらいで、かなり高粘度化してきました。
「あぁ。これ以上加熱するとコテコテになりそうだなぁ~」という感じだったので、ここで加熱を中断。



そのまま金属カップで計量し、煮桐油100ccに対して光明丹5gを投入して、撹拌しながら自然に放熱させました。
(桐油の比重は0.93~0.94くらいですので、光明丹は重量で桐油に対して約5.3%入っています。)



30minくらいの手混ぜ撹拌で60℃程まで下がり、その後撹拌をやめて放置しさらに30minでほとんど除熱出来ました。(作業環境は標高200メートルくらいの山小屋で12月、気温は5~8℃くらい)

このため、250ccの桐油の加熱は2hr15minくらい、100ccの煮桐油と光明丹の撹拌放熱は30minくらい(プラス徐冷に30min)という条件で桐油のボイル作業を終えました。

この加熱と放熱の時間は、仕込み量によって変わってきそうです。


出来上った煮桐油は高粘度で、光明丹が入ってオレンジ色の水あめといった様子です。
そして、とても油臭いです。(; ̄Д ̄)油クサイ


なぜ、光明丹を入れるのか?桐油を煮るのか?

乾性油の硬化はスピードが非常にゆっくりです。
これを塗料として使いやすいように、早く硬化するように化学反応を早めるための触媒として金属酸化物が使用されます。
オイルフィニッシュ用の乾性油塗料でも、コバルトやマンガン等が使われます。
酸化鉛はかなり古い時代から、乾性油の触媒として使われていたようです。

桐油は、乾性油の中でも特に塗膜が硬く、耐薬品性にも優れた強い塗膜を作ります。反面、乾性油の中でも硬化のスピードが極めてゆっくりです。
乾性油の硬化は、酸素を取り込んで、液体(塗料)から個体(塗膜)へと向かって化学反応が進んでいきます。
そこで、熱を加えて撹拌することで、この硬化反応をあらかじめ進めておき、桐油を「やや固まりかけ」の状態にしておいて、さらに触媒として光明丹を入れることで、硬化時間の短縮をねらっていたと思われます。


さて、次回はいよいよ豚血(猪血)下地の材料調合をやっていきたいと思います。

豚血下地のおはなし ②

さて、豚血下地を「実際にやってみる」という今回の予備実験。

しかし、「ただやってみる」というだけでも、越えなければならない壁があります。
‥‥それは、「血」です。
主たる材料である「豚の血」をどうやって入手するか。

豚血下地が行われていた頃、沖縄の漆器工房では屠畜場から買い付けていたそうですが、
現在では衛生面などの理由からこうしたルートでの入手はできません。

そこで今回は代用として、狩猟の過程で入手可能な「猪の血」を使うことになりました。


狩猟免許を持っている当会代表の山内さんが、ベテランの猟師さんから「猪の血」を分けてもらうことで材料の準備ができました。


狩猟では獲物を美味しいジビエにするために、しとめた後で速やかに血抜きとモツ抜きをして、その後一昼夜流水にさらして肉の熱を取ります。


今回は、その過程で出る血液を使用させていただくことになりました。


「豚は猪を家畜化したもので、分類学上も両者は同じ種(学名Sus scrofa)《出典①》」ということなので、両者の「血」も基本的には同じものだろうという解釈のもと、「猪の血」を使って「豚血下地」の実験をすることになりました。

《出典①》
「ブタとイノシシの遺伝子の違いは?」Web医事新報 日本医事新報社
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3994
No.4806 (2016年06月04日発行) P.69
野口英樹 (情報・システム研究機構国立遺伝学研究所先端ゲノミクス推進センター)
藤山秋佐夫 (情報・システム研究機構国立遺伝学研究所 先端ゲノミクス推進センター 比較ゲノム解析研究室教授)

さて次回は、豚血下地に使うほかの材料についてふれていきたいと思います。

2018年12月21日金曜日

豚血下地のおはなし ①

編者の健康問題と自然災害などの影響により、実際の勉強会や実験から随分と時間が経ってしまいましたが、ようやく豚血下地についてのご報告をさせていただきます。


さて、豚血下地の概要について、文献に記載の情報を参考におさらいします。

今回、参考にした文献
■文献① 三山 喜三郎 「琉球漆器調査報告書」 『工業試験所報告 第四回』 (東京)工業試験所 明治41年
■文献② 澤口 悟一 『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年
■文献③ 伊禮 綾乃 「沖縄の豚血下地について」 『よのつぢ 浦添市文化部紀要 第3号』 浦添市教育委員会文化部文化課 平成19年


まずは、主な材料について。

・クチャ沖縄特産の多量の石灰分を有する灰色の粘土
・豚血採取後6~7hr以内に使わないと腐敗する
・煮桐油桐油を3~4hrほど中火で加熱し、火を止めて5~6%の光明丹を混合し、撹拌しながら放熱する(約5hr~)
・光明丹:鉛丹ともいう。一酸化鉛を 400~450℃に長時間加熱してできる。明るい赤色の重い粉末。有毒。 500℃で分解する。
・ニービ沖縄本島中南部に見られる第三期砂岩を金槌で粉砕し、ふるいにかける。
・シナ与那原町海岸の砂。塩抜きし、乾燥させてふるいにかける。


次に、豚血下地の配合について。

そして、下地全体の工程について。

■文献① 下地工程
 1 豚血下地に砂や木屑・紙繊維とを混合したものを用いてコクソかいをする
 2 豚血下地にて寒冷紗を貼る
 3 豚血下地に砂を混ぜて下地付けをする
 4 空研ぎ
 5 下地付けをする
 6 水研ぎ
 7 仕上げの下地付けをする(「ヒロ地」という)
 8 水研ぎ
 9 生漆+菜種油or生の桐油で摺漆
 10 軽石粉と水で磨き上げる
 11 生漆で摺り漆
 12 生漆で摺り漆


■文献② 下地工程
 1 地付け 豚血下地+ねび土+細砂+煉瓦粉
 2 豚血下地 ヘラ付け
 3 豚血下地 ヘラ付け
 4 研ぎ
 5 摺漆 生漆+菜種油=10:1で摺漆
 6 胴擦り 水と炭粉or軽石の粉をつけて、布で磨く
 ↓
中塗り
 ↓
上塗り


■文献③ 下地工程
 1 コクソ埋め デイゴ木地の芯を刳り抜き、そこにデイゴ材を打ち込む
 2 ニービ地 コクソ埋めした箇所にニービ地(豚血下地+ニービ)を塗る
 3 研ぎ
 4 紙・布着せ 豚血下地で紙・布を着せる
 5 キーカシ下地 豚血下地+木屑をヘラで全体に塗る
 6 研ぎ
 7 シナ地 豚血下地+砂(豚血8:砂2)をヘラで塗る
 8 研ぎ
 9 ニービ地 豚血下地+ニービをヘラで塗る
 10 研ぎ
 11 豚血下地 豚血下地 をヘラで塗る
 12 研ぎ
 13 化粧地 豚血下地 を薄くヘラで塗る


以上のように、文献によって豚血下地の配合比率や工程は結構まちまちです。
しかし、現在の漆工芸の下地工程も、産地や工房・職人さんによって配合も工程も差異がある事を考えれば、そういう個性の範疇とも言えます。
やわらかくしたり、ねばりをだしたりするために、豚血や煮桐油の配合量を調整するような運用もされていたようですので、配合量のバラツキにはおおらかでもいいのかもしれません。

さて、今回のシリーズでは「まずは豚血下地をさわってみよう!」ということで、細かな材料の配合や工程などの比較検討は省き、「材料を用意して、混ぜて、下地付けをしてみる」体験をすることを目的としての予備実験を行いたいと思います。