2018年12月24日月曜日

豚血下地のおはなし ③

メインの材料である豚血(猪血)を入手することができたので、今回行う実験の工程とその他の材料についてもご紹介していきたいと思います。

今回は、

■文献① 三山 喜三郎 「琉球漆器調査報告書」 『工業試験所報告 第四回』 (東京)工業試験所 明治41年
■文献② 澤口 悟一 『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年
■文献③ 伊禮 綾乃 「沖縄の豚血下地について」 『よのつぢ 浦添市文化部紀要 第3号』 浦添市教育委員会文化部文化課 平成19年

の3文献をもとに、

1. 煮桐油を作る
2. クチャに布でろ過した豚血を加えて、練り棒やヘラで混錬する
3. そこに煮桐油を加えて、さらに混錬する

という工程で豚血下地を調合していきたいと思います。

そこで、次は豚血下地の配合の中で「豚血」と同じようにバインダーの役割をする「煮桐油」についてふれていきます。


中国の漆工芸の技報専門書に『髤飾録』(きゅうしょくろく)というものがあります。
これは明の時代の人、黄 成さんが天啓5 (1625)年に著したもので、日本にも伝わっています。東京美術学校でも『髤飾録』を読み解いて研究する授業が行われるなど、日本の近代の漆工芸にも大きな影響を与えています。

その『髤飾録』の下地の技報の項で、下地材料の中にバインダーとして「猪血」と「鰻水」が登場します。


「垸漆」
(垸漆は丸漆、灰漆とも称し、下地のことである)

下地粉の種類は角灰、磁灰を上とし、骨灰、蛤灰を次(中)とし、甎灰(甎:レキ=れんが)、坯屑(坯:ヒ=れんがや陶器の火入れ前の白地)、砥灰を下となし、皆篩い別け、粗・中・細として使用する。また枯炭粉を使用することもある。
そしてこれ等の下地粉には厚糊、猪血、藕泥(レンコンの澱粉)、膠汁等を加える。
また煮油を加える鰻水即ち灰膏子もある。

訳・解説:澤口 悟一
『日本漆工の研究』 丸善 昭和8年

(なお、筆者(澤口)の実験によれば、角、骨、蛤の灰類は漆以外の物には適するが、漆下地には不適当である。)


中国語ではイノシシが「野猪」、ブタが「猪」もしくは「猪只」なので、「猪血」がどちらを指すのか…。おそらく「猪血」=「豚の血」だろうと考えられていますが、厳密にはわかりません。
まぁ今回は、それは「どちらでも一緒」ということにしたので、「煮油を加える鰻水」の方に注目していきたいと思います。


中国、元~明の時代の人、陶 宗儀さんの随筆集『輟耕録』(1366年)には、
「桐油に水を入れ煮詰め、鉛丹(四酸化三鉛)・鉛白(塩基性炭酸鉛)・無名異(弁柄)を加えて蜜のようになったら加熱をやめて放熱する。」《出典②》
というように、「鰻水」の作り方が記載してあるそうです。

《出典②》
『近代建築に使用されている油性塗料』大澤 茂樹 2013.3 未来につなぐ人類の技 国立文化財機構東京文化財研究所

というわけで、どうやら鰻水=煮桐油と考えてよさそうです。


ちなみに鉛丹とは、「光明丹」ともいう鉛の酸化物です。
組成は Pb3O4 の明るい赤色(オレンジ色)の比重の重い粉末。
有毒で、体内に取り込むと発がん性、生殖毒性、胎児への悪影響の恐れ、腎臓、神経系、血液系への障害を引き起こすおそれがあります。



※ 今回はあくまで豚血下地の再現実験のために使用しているだけですので、この材料で食器などの家庭用品を作ることはありません。


それでは、実際に煮桐油(鰻水)を製作していきます。

「桐油を3~4hrほど中火で加熱し、火を止めて5~6%の光明丹を混合し、撹拌しながら放熱する(約5hr~)」
‥という■文献③の情報をもとに、屋外にて土鍋に250ccの桐油を入れて、ガスコンロで弱火で加熱していきました。


桐油はトウダイグサ科の落葉高木アブラギリの種子から採った乾性油。
塗料用途に使う乾性油の中では、塗膜の硬さや耐薬品性が高いのが特徴です。



火にかけると、とんかつ屋さんの厨房のにおいがしてきます。

放射温度計で油温が200℃を超えないように火力を調整すること2hr15minくらいで、かなり高粘度化してきました。
「あぁ。これ以上加熱するとコテコテになりそうだなぁ~」という感じだったので、ここで加熱を中断。



そのまま金属カップで計量し、煮桐油100ccに対して光明丹5gを投入して、撹拌しながら自然に放熱させました。
(桐油の比重は0.93~0.94くらいですので、光明丹は重量で桐油に対して約5.3%入っています。)



30minくらいの手混ぜ撹拌で60℃程まで下がり、その後撹拌をやめて放置しさらに30minでほとんど除熱出来ました。(作業環境は標高200メートルくらいの山小屋で12月、気温は5~8℃くらい)

このため、250ccの桐油の加熱は2hr15minくらい、100ccの煮桐油と光明丹の撹拌放熱は30minくらい(プラス徐冷に30min)という条件で桐油のボイル作業を終えました。

この加熱と放熱の時間は、仕込み量によって変わってきそうです。


出来上った煮桐油は高粘度で、光明丹が入ってオレンジ色の水あめといった様子です。
そして、とても油臭いです。(; ̄Д ̄)油クサイ


なぜ、光明丹を入れるのか?桐油を煮るのか?

乾性油の硬化はスピードが非常にゆっくりです。
これを塗料として使いやすいように、早く硬化するように化学反応を早めるための触媒として金属酸化物が使用されます。
オイルフィニッシュ用の乾性油塗料でも、コバルトやマンガン等が使われます。
酸化鉛はかなり古い時代から、乾性油の触媒として使われていたようです。

桐油は、乾性油の中でも特に塗膜が硬く、耐薬品性にも優れた強い塗膜を作ります。反面、乾性油の中でも硬化のスピードが極めてゆっくりです。
乾性油の硬化は、酸素を取り込んで、液体(塗料)から個体(塗膜)へと向かって化学反応が進んでいきます。
そこで、熱を加えて撹拌することで、この硬化反応をあらかじめ進めておき、桐油を「やや固まりかけ」の状態にしておいて、さらに触媒として光明丹を入れることで、硬化時間の短縮をねらっていたと思われます。


さて、次回はいよいよ豚血(猪血)下地の材料調合をやっていきたいと思います。